アラムナイ・ストーリーズ第10回 – 鈴木敦さん
2004年にICUを卒業した鈴木敦さんは、4年前にニューヨークに転勤になり、以来同窓会ニューヨーク支部の活動に積極的に参加し、昨年はJICUFのサマープログラム、Global Linkにも協力してくださいました。鈴木さんにICUでの思い出と、大学時代がその後の人生に及ぼした影響について伺いました。
「キャンパスに流れるゆったりとした時間や、誰とでフラットに語りあう風通しの良さ、当時たくさん吸い込んだICUの空気は今の自分の中にも残っている気がします。同じ空気を吸ってきた同窓生とは、キャンパスにいた時期は違ってもすぐ打ち解けますし、似た者同士のゆるい連帯感があります。卒業後もICU生は、自分にとって最も気の置けない仲間です。
初めてICUを訪れたのは、高校生の時に参加したキャンパスツアーでした。間違って大学の入り口でバスを降りてしまい、滑走路を歩いてキャンパスに向かいました。木々の間から差し込む夏の強い日差しと、広大なキャンパスに圧倒されたことを憶えています。また、当時のICUの学校紹介のパンフレットは、リベラルアーツ教育や学問の意義を真っ直ぐに問いかけてくるものでした。楽しい学生生活を売り物にする大学も多かった中、学生を子ども扱いせず、同じコミュニティに加わる一員として対等に対話する姿勢に魅かれました。
入学後は、讃美歌を当たり前のように歌えるクリスチャンの友人や、英語と日本語を混ぜて話すインターナショナルスクール出身の友人など、これまで自分が過ごしてきた世界にはいなかった同世代の仲間に刺激を受けました。帰国子女でも色々な国で育った人たちがいました。私は当時、たった1年の高校留学を経て見事なアメリカ被れになっていましたが、これら友人との出会いは私の「世界」のイメージを広げてくれました(当時は髪を赤く染め、バギーパンツとバッシュ、大きめのTシャツという妙な出で立ちでキャンパスに通ってました)。また、ELPには、同じように高校や幼少期の一時期を海外で過ごしたことがあるクラスメートが多くいました。似た経験や感覚を持つ仲間に囲まれ、心地よい安心感を同時に得ることが出来ました。
学習面では、スティール先生の日本史の授業が印象に残っています。日本史を米国人の先生が英語で教えること自体がICUらしいと感じました。授業の内容も教科書で習ってきた歴史観を別の視点から相対化するもので、「学問とはただ知識を詰め込むのではなく、自分自身の中にある偏見から自らを解放するものだ」というメッセージを感じました。ICUではよく「クリティカルシンキング」という言葉が使われますが、こうした授業を通じて、自分自身の考えが本当に正しいのかを常に問いかける習慣が身に着いたと思います(一方、確固たる考えを自分自身の中にも構築する努力を同時にしなくてはならないという思いが、ICU卒業後の大学院進学につながりました。このプロセスはまだ途上にあります)。
大学3年時にはカリフォルニアのUCバークレーに一年間留学しました。米国がイラク戦争に突入していった年で、リベラルの巣窟といわれるバークレーでも、愛国主義に米国社会が突き動かされていることを感じました。また、授業では、多国籍企業が主導するグローバリゼーションや自由貿易が途上国の人々の生活を破壊しているという議論も盛んに行われていました。他方で、途上国出身のルームメイトは雇用創出や国の発展のためには外国投資の受け入れが必要だと言っていました。ここで得た問題意識は、ICU卒業後に通った大学院を経由して、今の仕事にも繋がっています。
現在は、日本貿易振興機構(ジェトロ)のニューヨーク事務所で調査の仕事をしています。米国政府の政策で、日本企業の米国事業に影響がありそうなものを調査して、日本企業に説明することが主な仕事です。トランプ政権誕生以降は特に動きが激しくなってきていますが、こうした大事な時期に、日本と米国との間で仕事ができることに感謝しています。
社会人になってからは、落語にはまり、大学で建築を学び、図書館や本屋を巡る旅をし、最近では美術館通いを始めるなど、時々の関心に応じて動いています。全く違った分野に繋がりを見出した瞬間が何よりも刺激的です。これも完全にICUのリベラルアーツの影響ですね(この文章を書きながら気が付きました)。今後は、他のICU生に負けないように、もっと自由でしなやかな人生を送っていきたいと思います。」