アラムナイ・ストーリーズ第19回 – ティム・ワイナントさん第1部
トーマス「ティム」ワイナントさんとICU及びJICUFとの関係は、1960年代に遡ります。1960年代初め、ニューヨーク大学の学部生だった頃、OYR(交換留学生)としてICUに留学し、1960年代半ばには日本語研究生として二度目の留学をしました。1980年代にはJICUFの理事を務め、1990年に再びICUに戻り、1999年まで学長補佐及び国際部長として勤務しました。
ICUで過ごした期間の合間に、慶應大学、ペンシルバニア大学、ハーバード大学の大学院で学び、イリノイ州立大学、ペンシルバニア大学、タフツ大学、ハーバード大学、マンハッタンビル大学で教職や行政職に就きました。現在はフロリダ州セントルーシー郡在住で、読書と家系調査を楽しんでいます。
ワイナントさんのユニークな体験に基づき、ICUとJICUFで過ごした期間を数回に渡って振り返っていただきます。第一回は、当時のJICUFエグゼクティブ・ディレクター、ルース・ミラーとICUとの出会いについてのお話です。
ICUとの出会い:ルース・ミラー氏からのアドバイス
1962年夏、私はニューヨーク市の大学に通いつつ、夜間はアルバイトをしていました。ある日帰宅すると、「無料で1年間日本に交換留学しませんか?」という書留の手紙が届いていました。正直なところ、当時の私の関心はヨーロッパ、特にロシアにあり、日本に行くことなど考えたこともありませんでした。しかし1年間無料で過ごす場所として、日本は興味深い場所であり、私は直ちにこの機会に応募することにしました。
こうして運よく、1962年度の「ダグラス・マッカーサー・ニューヨーク=東京姉妹都市交換留学生」となりました。ところが困ったことに、当時の私は日本について何も知りませんでした。日本に関する本を読んだことさえなかったのです。しかも、ICUという日本の大学に願書を提出し、合格しなければ、ビザを申請することもできないと知ったのです。幸いJICUFのオフィスがニューヨークのインターチャーチ・センター*にあったため、訪問して情報収集することにしました。
JICUFのオフィスで、エグゼクティブ・ディレクターだったルース・ミラーさんと出会いました。ミラーさんは、自身も数年前に3週間日本で過ごしたことしかないと話してくれましたが、ICUと日本について多くの洞察を共有してくれました。その後日本に渡り、1年間過ごした後に、彼女の洞察や助言が、それまでに読んだどの本よりも価値があったことに気付きました。世の中には傑出した人物がいますが、ミラーさんはその一人でした。多くの人が何年もかけて学ぶことを、わずか数週間で吸収できる人でした。JICUFとICUは、後に日本ばかりか、世界有数の大学になりましたが、その創立期に彼女が関わってくれたことの恩恵は計り知れません。
人の話を注意深く聞くこと。軽率に非難しないこと。急いで結論を出さず、質問をすること。人に敬意を払うこと。状況が分からない時は好意的に解釈すること。オープンな心を持つこと。観察し、参加し、貢献すること。違いを理解すること。自分に正直であること。人を大いに褒めること。異論がある時は注意深く意見を述べること。先入観を避けること。変化を受け入れること。正直で、謙虚であること。友達を作ること。これらはルース・ミラーさんから学んだことです。彼女はICUの価値を信じ、JICUFの使命に身を投じました。彼女の信仰と判断は私の可能性を広げ、最初の出会いから長年に渡って、この大学の目標と理想に向けて努力するよう仕向けてくれました。
*インターチャーチ・センターとは、ニューヨーク市マンハッタン西北部にあるビルで、今もJICUFのオフィスがある。
この記事は、全4部の第1部です。第2部はこちらから。