アラムナイ・ストーリーズ第20回 – エド・レンシーさん
ニューヨーク市で弁護士として活躍するエドワード・K・レンシーさんは、1985年から1986年にかけて研究生としてICUに留学しました。レンシーさんは、ニューヨーク州弁護士会(NYSBA)国際セクションの次期委員長として、アジア太平洋諸島系米国人の文化遺産継承月間(Asia Pacific American Heritage Month)に際して、日本で過ごした1年間について記事を執筆しました。先週、NYSBAと大阪弁護士会は友好協定を締結しましたが、大阪弁護士会がこの記事を和訳し、会員の弁護士と共有しました。レンシーさんの英文記事と、大阪弁護士会が提供した翻訳を、「アラムナイ・ストーリーズ」第20回としてお届けします。
2021 年 5 月 アジア太平洋諸島系米国人の文化遺産継承月間記念 :私の日本での 1 年
エド・レンシー、ニューヨーク州弁護士会国際セクション委員長、ニューヨーク Hinshaw & Culbertson LLP パートナー
1984 年、大学の最終学年の前期に、私は大きな決断をしました。すぐにロー スクールには行かず、東京都三鷹市にある ICU (国際基督教大学)の研究生とし て、1 年間日本で過ごすことを決めたのです。私が決断した理由はいくつかあり ます。父は元ゼネラル・モーターズの元幹部で、引退する前は、日本の自動車産 業との競争が夕食時の話題でした。また、日本企業は様々な分野で急激に台頭し てきており、一部では米国の優位に取って代わる可能性があることを新聞や雑 誌で読んでいました。さらに、私の過去 3 年間のお気に入りの履修は、国際史、 国際関係、国際法で、私は国際分野に焦点を当てた法律家としてのキャリアを追 求したいと考えていました。そこで、日本人と会い、日本について学ぶために日 本に行くことは、私にとっては道理にかなったことでした。私は日本語を話せな かったので、ICU は理想的と思えました。なぜなら多くの授業が英語で行われ ていたし、ICU の日本語プログラムは日本で最も優れた授業のひとつと考えら れていたからです。賽は投げられた!
アメリカでは私の計画にびっくり仰天されました。アメリカでは、特に私の両 親の世代では、日本人に対する怒り、あるいは憎しみの感情が強かったからです。 日本との競争が一家の稼ぎ手に与えた影響と、両親の世代が戦った第二次世界 大戦の記憶とが組み合わさった結果でした。この怒りは、私の仲間にもいくぶん かはありました。特に戦争で戦った人々の子どもたちの間では。それでも挫けず、 私は、1985 年 8 月、日本に向かいました。
成田空港に到着し、そこから何とか東京に出ることはできましたが、どうやっ て三鷹に行くのか分からず途方に暮れました。すると一人の日本人男性が、英語 で、手伝おうかと話しかけてくれたのです。私が説明すると、彼は自分について くるように言い、私が電車の切符を買うのを手伝ってくれ、乗るべき電車を教え てくれました。そして、彼も同じ電車に乗りました。私は、彼もちょうど私と同 じ電車だったのだと思っていましたが、三鷹に着くと、その男性は私と一緒に降 りて、別の男性に何かを話しかけ、そして次の電車に乗って東京に戻っていきま した。そして二人目の男性は、私を新しい家主の家まで案内をしてくれました。
現在はコロナのために中断していますが、私は今日まで、困っている観光客や NY の訪問者に対しつねにレーダーを張っています。これは私が、日本での初日 に受けたあの二人の優しさへの恩返しなのです。
ICU は、1949 年にアメリカ人と日本人によって設立され、その使命は、国際 的な和解、平和、協力及び理解を促進することです。学生も多文化の出身者で構 成され、日本人と多様な国と文化をもつ学生は、一緒に生活し、勉強し、働き、 そして楽しみました。また、歴史、経済、政治など、様々な講義が英語で教えら れ、また私のような「ガイジン」が日本語に没頭できる環境で学ぶことができま す。ICU の日本人学生は英語を勉強しており、私のように英語を話す学生もた くさんいるので、一緒に練習することができます。私は正しい場所を選んだので した。
課外活動として私は少林寺拳法部に入りました。少林寺拳法とは、「少林寺の ボクシング」のことで、寺院や型は 1970 年代の人気テレビ番組「Kung Fu」に よって知られていますが、私は高校と大学で格闘技を学んでいたことから、少林 寺拳法に興味をそそられました。日本人チームメイトには男性も女性もおり、私 や他のガイジンの入部を歓迎してくれました。私たちは皆すぐに友達になり、た くさんの遊びを楽しみました。たいてい最後は飲み会に行きつきましたが。私の 日本のチームメイトは、私を「エド」と呼びましたが、エドはかつての東京の名 前で、かつ日本の歴史上重要な時代の名前でもあったため、彼らには面白く聞こ えたようです。私は、他の日本人学生とも友達になりました。これらの友情を通し、文化の違いとその表現は別として、日本の大学生はアメリカの大学生と何ら 変わりがないことに気づきました。 私たちはみんな、一緒に楽しむことが好き で、将来について同じ希望、夢、恐れを持っていたのです。
授業が始まって数週間後、英字新聞で、東京から電車で約 1 時間のところに ある禅寺で英語話者のための週末体験のお知らせを見つけました。私はこれに 申し込み、それが日本滞在中の初めての禅寺訪問となりました。そして、そこか ら座禅とマインドフルネス(当時は気づきと呼ばれていた)の個人的な習慣が始 まることになり、長年にわたって大きな恩恵を受けてきました。私は自分の経験 に基づいて、瞑想とマインドフルネスは怒りと憎しみの解消になるとずっと信 じています。また、このような習慣は、高校や中学校のカリキュラムの一部にす べきだとも思っています。私自身の事務所を含め、多くの法律事務所が、今、マ インドフルネスや瞑想のトレーニングをしていることをうれしく思っています。
どうしてでしょう? なぜなら、座禅は、習慣的に行えば、自分の考えや思考過 程について、さえぎるもののない、はっきりとした見方を与えてくれるからです。 非難や先入観、偏見、恐れを含むすべての思考に、瞑想することで気がつき、最 終的にはそれが何か、すなわち実体や実質のない、純粋に自分自身の心のあり方 であることが分かります。言い換えれば、否定的な感情や反応は、すべて心の中にあることを理解できるようになるのです。また瞑想とマインドフルネスを通 じて、自制心、特に怒りや憎しみに動かされて行動や反応をしない能力を身に着 けることもできます。
私の週末の禅寺訪問は、私の人生における素晴らしい経験のひとつを与えて くれました。それは、正月に九州の片田舎にある禅寺でホームステイをすること でした。10 日間における私の家族は和尚さん、奥さん、そして 10 代の娘さんで した。和尚さんは毎日の近隣の村のおつとめに私を連れて行ってくれました。私 はちょっと風変わりでした – 身長 6 フィート、体重 200 ポンド、ピーコート を着て、ひげを生やしている – が、私は至るところで歓迎されました。子供た ちは私を見て泣いたけれども。。。私の滞在のハイライトは、和尚さんと同僚の僧 侶たちと一緒に、羅漢寺の葬儀で神聖な料理を準備しいただくという、貴重な栄 誉を与えられたことでした。羅漢寺は、山の岩肌にあるたくさんの洞窟から突き 出している独特の禅寺です。私は、週末のお寺で、神聖な料理のマナーや礼儀を 学んでいたことを嬉しく思いました。何人かの僧侶が、私が正しい礼儀作法を知 っていることに驚きました。
私が日本で学んだ最も重要な教訓の一つは、アメリカで失礼だと考えられて いることは他の場所ではそうではなく、その逆もまたしかり、ということでした。自国を訪れた人が、この国で失礼だと思われていることを言ったり行動したり したとき、そういった発言や行動は、彼らの出身地では失礼なことではなく、そ のような意図はない、ということについて考えるべきです。例えば、日本では男 性が女性に対して、ドアを支えたり重い荷物を運んだりするようなことはあり ませんでした。日本の女性は、私がドアを開け、「お先にどうぞ」とか、「どうぞ」 と言うと、おもしろがったり、恥ずかしそうにしたので、私は最終的にはその本 能を抑え込むことになりました。(備考: 今日では、多くの女性がこれらの慣習 を性差別的だと考えていることを認識しています)。この文化の違いを教えても らった中で、一番面白かったのは、地元のスーパーマーケットでの精算後、和尚 さんの奥さんや娘さんの買い物袋を運んだことでした。私は本能的に 2 つの大 きなバッグをつかみ、車に向ったところ、多くの 10 代の若者たちが、お腹がよ じれるほど笑ったのです。あとで和尚さんの娘にどうして笑ったのかと尋ねる と、日本人男性は買い物袋を持って歩かないからだと言いました。私は謝り、私 が住んでいた所では、男性が女性のために荷物を運んだりドアを支えたりしな いことが失礼なことなんですと説明しました。彼女は楽しそうに、日本人男性に もいつか同じことをしてほしいと言いました。
私はお金を稼ぐために英語を教えました。私の生徒の一人に、精進料理を提供する三光院の在家理事がいました。理事は、庵主さんとアメリカを訪問する予定 があり、英語を勉強していたのです。庵主さんとその前任者が書いた料理本 「Good Food From A Japanese Temple」の英語版の宣伝のためでした。打ち合 わせの中で、彼女は、自分の夫が広島の被爆者であると伝えました。私は、彼女 に、英語を学びアメリカに旅行することについて、夫がどう思っているか尋ねま した。彼女は、夫がアメリカ人に対して憎しみを抱いておらず、彼女が英語を学 んでアメリカに旅行に行こうとしていることを喜んでいると言いました。私は、 多くのアメリカ人の間でこの戦争に対する怒りが続いていることを彼女に話し ましたが、アメリカは戦争に勝利したのに、と彼女は困惑しました。アメリカの 態度を考えれば、彼女の意見は私には驚くべきものでした。
アメリカに戻った後、私はコロンビア大学ロースクールに入学しました。1 年 目を終えて、東京の濱田松本法律事務所(現在の森・濱田松本法律事務所)で夏 のインターンとして過ごすことができたのは、とても幸運でした。その経験につ い て 、「 日 本 に お け る 法 の 支 配 に つ い て : 濱田邦夫基調講演」 にその一部を書きましたが、これは また別の素晴らしい経験でした。
2019 年 11 月、ニューヨーク州弁護士会国際セクションの年次国際会議が東京で開催されました。会議のテーマは「A World of Many Voices, United in Our Diversity」でした。Asian Pacific Island American Heritage Month は、年間 を通して、私たちが恐れず多様性の中で団結すべきということを思い出させる もののひとつです。この記念月間では、他文化の人たちについて学び、知り合い、 友人になることによって、自分の社会や国や世界だけでなく、まさに自分自身の 内面を豊かにすることを私たち全員に気づかせてくれるものです。
私の友人でもあり前国際セクション委員長でもある Diane O’Connell 氏と、 私にこの記事を書くことを勧め、助言してくれた、友人であり同セクションダイ バーシティ担当である D. L. Morris 氏に感謝します。
ありがとうございました。