マーク・ウィリアムズ副学長インタビュー
先月、マーク・ウィリアムズ博士がICUの国際学術交流副学長に就任されました。ニューヨークで開催されたJICUF理事会に出席された折に、ウィリアムズ博士をインタビューしました。
JICUF: まずは自己紹介をお願いします。先生の生い立ちと、日本文学の研究者になられた経緯について教えてください。
MW: 私は英国のオックスフォードで生まれました。18歳になるまで日本とはまったく接点がなく、大学ではフランス語とドイツ語を学ぶつもりでした。大学での面接を翌週に控えたある夜、私は友人たちとパブに出かけ、そこで一人寂しそうに座っている日本人男性を見かけました。何気なく話し始めたところ、30分後には私の人生は一変していました。この出会いがきっかけで、日本研究を専攻することを決めたのです。
JICUF: その出会いの何がそれほど衝撃的だったのですか?
MW: 会話自体はちっとも刺激的なものではありませんでしたが、それまで日本について考えたこともなかった私の目が開かれたのです。結局オックスフォード大学で日本研究を専攻しました。教科書に使われていたのは「源氏物語」でした。当時日本人の教授はいませんでしたが、日本語だけでなく、日本の歴史、経済、政治について学びました。学部生時代、6週間南山大学に留学しました。卒業した時には文語体の日本語しか話せず、英国では容易に就職先が見つからなかったので、JETプログラム(Japan Exchange and Teaching Program)への参加を決意し、群馬県教育委員会に外国語指導助手として採用されました。私の日本語は文語体から上州弁に変わりました。
群馬県で2年間過ごした後、フリーランスとなり、ICU高校を含むいくつかの東京の学校で英語を教えました。1981年のことですが、同時に研究生としてICUで上級日本語の授業を受講しました。
この頃、私の人生を大きく変える出来事が二つありました。一つは、バカ山で妻と出会ったこと。もう一つは、日本研究に生涯を捧げる決意をしたことです。
その後カリフォルニア大学バークレー校の博士課程に進学し、そこで5年間過ごしました。 当時の指導教授の一人は遠藤周作作品の翻訳の第一人者でした。私は戦後日本のキリスト教文学者について博士論文を書きました。博士課程の最中、1年間再び日本に滞在しました。
博士号取得後、英国で就職しました。リーズ大学で日本研究プログラムを設立する仕事を得たのです。リーズ大学はもともと中国研究が有名で、最初は中国研究科で日本語を教えていました。しかし、中国研究科の名称を東アジア研究科に変え、その中に日本研究プログラムを作ることが私の就職の条件でしたので、やがてその通りになりました。
当時、リーズ大学は1年間の交換留学プログラムのパートナーとなる日本の大学を探していました。学長に意見を求められ、ICUと関西外国語大学を勧めました。リーズ大学は1989年に両大学とパートナー協定を結んでいます。
現在リーズ大学では日本語はもっとも人気のある外国語メジャーで、フランス語よりも専攻する学生が多いのです。
JICUF: 何人くらいの学生が日本語を専攻しているのですか?
MW: 毎年45名ほどが日本語を専攻しており、5名ほどがICUに交換留学しています。
2000年代にはもう一つ大きな出来事がありました。当時の首相だったトニー・ブレアが、英国では中国語、日本語、ロシア語、アラビア語の4ヶ国語の教育プログラムが危機的状況にあると宣言し、2500万ポンドをこれらの語学プログラムに投資すると宣言したのです。
大学はコンソーシアムとして資金を申請しなければならず、リーズ大学は、やはり日本研究で有名なシェフィールド大学と提携し、東アジア研究センターの構築を提案しました。この提案は受け入れられ、日本研究と中国研究を統合するホワイトローズ東アジアセンター (White Rose East Asia Centre) が設立されました。
東京外国語大学もリーズ大学のパートナー大学の一つでした。当時東京外大の学長であった中嶋嶺雄先生は、小泉純一郎元首相に秋田県のミネソタ州立大学跡地に国際教養大学を設立するよう依頼されました。中嶋先生は同大学初代学長となり、私をトップ諮問会議に招いてくださいました。その後私は学務副学長としてフルタイムで勤務することになり、リーズ大学を3年間休職しました。この間妻と娘は東京に住み、娘はアメリカンスクール・イン・ジャパン(ASIJ)に通いました。
国際教養大学にいた頃、文部科学省はスーパーグローバル大学事業を創設しました。私は国際教養大学のこの事業への参加を推進し、幸いスーパーグローバル大学の一つに選ばれました。この事業に関わっていた頃に、ICUの日比谷潤子学長と出会い、この秋リーズ大学を辞職し、ICUに来ました。
JICUF: 国際学術交流副学長の任務とは?
MW: この役職はまったく新しいもので、前任者がいません。私の仕事の一つは、この職の任務を定義することです。やりたいことのリストはあります。
主な任務は、ICUの学生交流プログラムを監督することです。ICUには現在90のパートナー機関がありますが、学生間交流だけでなく、教員間の学術交流のための新たなパートナー関係を築くことを目指します。ICUと海外の高等教育機関との研究交流の可能性を探っていきます。
私の目標は、教育機関・研究機関双方としてのICUの評価を上げることです。
JICUF: 優先課題はありますか?どんなことに取り組むのが楽しみですか?
MW: 取り組んでみたいのは、「グローバル人材」の定義です。「グローバル人材」とは何か、人によって考えが違うと思います。日本では、英語で仕事ができる人材のことと考える傾向がありますが、それだけではないはずです。英語が話せる人がすべて「グローバル人材」であるわけではありません。バイリンガルであるばかりでなく、マルチカルチュアルであること、異文化を理解できることが重要だと考えています。ICUはこのような人材を育成するのに適した場であると思います。
JICUF: もっともお好きな日本語の本では何ですか?ベストスリーを挙げてください。
MW: 遠藤周作の「沈黙」、夏目漱石の「こころ」、そして島尾敏雄の「死の棘」です。
JICUF: 最後に、ご趣味は何ですか?
MW: スキー(ほとんどのスポーツを鑑賞したり、参加することが好きです)、読書、音楽鑑賞です。
JICUF: お話を聞かせていただき、どうもありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。