JICUF 助成金受賞者スポットライト:第一回アジア・国際コミュニティ心理学セミナー 笹尾敏明教授
2023年7月21日から23日にかけて、ICUにて「第一回アジア・国際コミュニティ心理学セミナー」が開催されました。このセミナーはICUの笹尾敏明特任教授がJICUFの助成金を得て実現しました。このセミナーとコミュニティ心理学について、笹尾教授にお話を伺いました。
JICUF: 日本ではまだまだ耳慣れないコミュニティ心理学について、簡単にご説明ください。
笹尾教授:ご質問ありがとうございます。この分野で行われていることを網羅することはできませんが、簡単にコミュニティ心理学の背景をご説明します。コミュニティ心理学は、激動の1960年代の米国で、少数民族や社会的に排除された人々やそのコミュニティが荒廃し、メンタルヘルスが悪化していた中で生まれました。それまで、そして今でも、日本の心理学は、幸福感やメンタルヘルスに影響を与える個人の内面的な側面に焦点を当て、人間をあくまでも個人のみに焦点が置かれるのが般的です。つまり、精神的健康も病いも、主に人間の精神内部から発生していると見なされてきたわけです。実際、心理学では、深層心理学や精神分析など、精神内部の要因と健康の力学に関する研究に重点が置かれ、日本やアジアでは50年以上にわたり、臨床心理学やカウンセリングなどの分野が主流を占めてきました。
しかし、コミュニティ心理学は、財力や機会の乏しい個人やコミュニティが持つ力と精神的・身体的健康に焦点を当てて、希望の光を与えました。コミュニティ心理学は、ダイレクトな個人あるいはマイクロレベルにおける福祉だけでなく、様々な社会環境における人々の幸福と健康に貢献するものです。また、この分野は人の権利と尊厳を脅かす数々の問題にも取り組んでいるため、国連が採択した持続可能な開発目標(SDGs)にも関わるものなのです。このように、コミュニティ心理学の焦点は、ICUの設立理念(学問への使命、キリスト教への使命、国際性)とも、JICUFが掲げる重点分野(サステナビリティ、DEI、平和の構築)とも重なっています。コミュニティ心理学の理念は、1950年代に既にICUの使命に貢献するものだったのです。この分野は、ICUのキャンパス同様、異なる社会的及び宗教的背景を持つ人々を受け入れ、インターセクショナリティを尊重し、世界人権宣言の原則を支えるものなのです。
写真右から笹尾教授、 Dr. Moshood Olanrewaju、 Dr. Chris Keys、 Dr. Stephanie M. Reich
JICUF:コミュニティ心理学は実際の人々の暮らしと、どのような関係・結びつきがあるのでしょうか?
笹尾教授:コミュニティ心理学は他のどの心理学の分野よりも、家庭、学校、職場、地域などの社会環境の中で、人々に力を与え幸福にする方法として直接的に結びついています。私の研究から幾つか例をあげましょう。米国での初期の研究でマイノリティ(中国系、韓国系、ベトナム系、フィリピン系、タイ系、日系、モン族、ロシア系など)の協力を得て取り上げた問題は、子育て、移民体験、家族関係、親子関係、学校の教師、薬物使用、差別、社会的不道徳など多岐に渡りましたが、個別のセラピーやカウンセリングだけではなく、彼らのコミュニティの内外で心理的コミュニティ感覚を回復することにも焦点を当てました。
移民、難民などのグローバルな問題や国際関係も研究対象となり、例えば1992年のロサンゼルス暴動の後の社会的・心理的苦痛などにも取り組みました。最近では、小規模なリベラルアーツ大学における教員やスタッフの健康・充実感の促進にも取り組んでいます。特にパンデミック後は学生のニーズやカリキュラムが変化し、オンライン教育や英語による指導など、効果的な教育方法を求めるプレッシャーが増して、教員には大きな負担がかかっています。
コミュニティ心理学の研究と実践の特徴の一つに、他の分野の専門家との協力があります。例えば、医師や看護師などの医療関係者、教師、社会福祉士、コミュニティ・オーガナイザー、企業経営者、警察官などです。特に地震や洪水などの自然災害や、地域社会の紛争など社会的な災害が発生した場合、コミュニティ心理学者は個人への介入だけではなく、コミュニティの復興を支援することを求められます。アジアでは、コミュニティ心理学は高等教育や専門機関に十分理解されておらず、単にコミュニティにおける臨床心理学の実践と捉えられている場合が多いのです。
JICUF:アジア・国際コミュニティ心理学セミナーを開催したいと思ったきっかけは何でしょうか?
笹尾教授: ICUのコミュニティリサーチ&アクショングループ(ICU-CRAG)は20年以上に渡り、日本とアジアでコミュニティ心理学を推進するリーダー的な役割を担ってきました。ICUの教員や大学院生、日本の他大学の研究者と協力する独立した研究共同体として、ICU-CRAGは国内だけでなく、アジアの専門家との緊密な協力関係を築くと同時に、米国やヨーロッパの専門家とも密接に連携してきました。しかし、残念ながらアジアの優れた研究・高等教育機関のコミュニティ心理学者の大きなネットワークを構築する機会はこれまであまりありませんでした。そこで、世界各地のコミュニティ心理学者と学生を集めて、ICUで小規模な会議を開催するアイデアが浮かんだのです。
具体的な目的は以下の三つです。①アジア、米国、オセアニア、ヨーロッパの専門家をICUに招き、アジアにおけるコミュニティ心理学の発展に向けて協力する可能性を模索する。②COVID-19後の世界で、人権、平和、正義に関する研究と実践の交流を促進する。③アメリカ心理学会コミュニティ・リサーチ&アクション協会の地域活動の一環として、アジアでのコミュニティ心理学の教育とトレーニングを提供する。
このセミナーのアイデアは、もともと2003年から2004年にかけて、私がICUでの特別研究休暇制度のもと、シカゴでコミュニティ心理学を教えていた時期に生まれました。その年の感謝祭の直前に、ICUから4月までに使い切らなければならない研究費があるとの通知を受けました。雪の降るシカゴで、この研究費を何に使おうかと考えていた時、私の助手を務めていた韓国出身の大学院生が、「アジアでコミュニティ心理学の小会議を開催してはどうか」と提案したのです。研究費を無駄にしないために、私はすぐに会議の準備を始めました。助手の学生が以前師事した韓国の延世大学の教授が橋渡しとなり、日本と韓国のコミュニティ心理学者と学生を延世大学に招いてくださることになりました。私はシカゴからソウルへ数回出張し、コミュニティ心理学に関する日韓共同セミナー開催の準備を進めました。
そして2004年2月、二日間にわたってソウルに日韓の専門家と学生約40人が集まり、研究プロジェクトを共有し、楽しい時間を過ごしました。この後の4年間、ICUと延世大学は少ない予算で交互に年次セミナーを開催しました。セミナーにはデトロイトからの同僚で日本の文科省の支援で当時ICUの客員教授だったポール・トロ博士も参加してくださいました。2005年の第二回合同セミナーでは、星野命ICU名誉教授(2015年逝去)が基調講演を行われました。(私は1997年から星野先生の文化・コミュニティ心理学の授業を引き継ぎました。)日韓共同セミナーはその後資金不足で、開催されませんでしたが、今年JICUFからの資金援助を受け、「第一回アジア・国際コミュニティ心理学セミナー」として7月にICUで開催することが出来ました。このセミナー開催に向け、多くの方々が協力してくださり、大変感謝しています。
JICUF:セミナー実現への過程で一番苦労されたことは何でしたか?
笹尾教授: この質問を受けて、マタイ福音書の一節を思い出しました。「イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。 また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。 そして弟子たちに言われた、『収穫は多いが、働き人が少ない。 だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい』」(マタイ9:35〜38)セミナー開催の数ヶ月前に準備を始めた時に、やらなければならないことの多さに圧倒されそうでした。しかし幸いなことに、ICUや他大学の学生・卒業生に協力してもらうことができました。彼ら・彼女らの支援なくしてセミナーを実施することは不可能だったに違いありません。
私と助手たちが苦労したことの一つに、海外からのゲストの旅行手配と経理作業があります。普段は、自分たちがロジを担当することはないからです。しかし、この問題はICUの研究戦略支援センターと平和研究所からタイムリーな支援を受けることができたおかげで、解決することができました。彼らは言葉で助言するだけではなく、現場に駆けつけて支援もしてくれました。
ディナー・レセプションで演奏したICU ジャズオーケストラの皆さん
JICUF:セミナーの成果と今後の抱負についてお聞かせください。
笹尾教授: おこがましいと思われるかもしれませんが、セミナーは私から見ても、他の参加者から見ても、大成功だったと思います。米国、ヨーロッパ、アジア、オセアニアの同僚から、たくさんの心温まるメッセージを受け取りました。
3日間のイベント開催中、ICUの学生と教員、学外の参加者に向けて基調講演を含む20のプレゼンテーションと、3本のビデオプレゼンテーションが行われ、熱心な議論が繰り広げられました。60人の参加者のうち15人は、京都、名古屋、大阪から参加し、米国、インドネシア、香港、韓国から8人のコミュニティ心理学者を招待しました。最終日の日曜日の朝には、ポーランド人の心理学者で、イエズス会の神父でもある同僚が、特別な礼拝メッセージをシェアしてくれました。また、ディナー・レセプション時に素晴らしいジャズ演奏をしてくれたICUジャズオーケストラにも感謝しています。
セミナーでの素晴らしい一コマ一コマを振り返りながら、現在私はセミナーで行われたプレゼンテーションと対話をベースに「アジアにおけるコミュニティ心理学」と題した専門書の編纂作業に取り組んでいます。私としては、今後もアジアでのコミュニティ心理学のグローバルセミナーを継続していきたいと思っています。ICUがアジアで初めてこのようなセミナーを開催できたことを大変誇りに思っています。本セミナーを可能にしてくださったJICUFの皆様に心よりお礼申し上げます。