ようこそ、ルーク!
JICUFに新スタッフが加わりました!プログラム・アシスタントとして11月半ばに採用されたルーク・拓也・パレルモは、データベース管理から記事の翻訳に至るまで、他のスタッフの仕事をサポートします。着任してすぐ、JICUFのグローバル・スカラシップ募金キャンペーンやGlobal Link New Yorkプログラムの広報に携わりました。ルークに自己紹介をしてもらいました。
「日本人の母とアメリカ人の父の間に生まれた私のアイデンティティの根底には、常に日本とアジアがありました。物心がついてから(いや、おそらくそれ以前から)、望むと望まざるとにかかわらず、このアイデンティティは私の考え、経験、行動に影響してきました。
生まれは東京都狛江市で、人生最初の1年間に馴染んだのは日本の音でした。その後間もなくニュージャージー州イートンタウンに引っ越し、残りの子供時代をそこで過ごしました。新しい言語環境への移行はあまりにも強烈で、幼児の私の頭を混乱させ、体調を崩すほどだったそうです。これが私の初めての異文化体験でした。
幸い新しい環境に早く慣れ、自分が属する複数のコミュニティと自分との関係性を理解するようになりました。この過程は時には楽しいものでした。当時流行りだしたばかりのポケモンゲームについて誰よりも先に知っていたことで、友達に注目されました。(ポケモンの名前が日米で違って混乱を招くこともありましたが。)また、母が日本語を教えてくれたおかげで、最高に面白い日本語の漫画、週刊誌、ビデオゲームやテレビのバラエティ番組を楽しむことができました。しかしその一方で、楽しくないこともありました。授業で真珠湾や広島について学ぶときはいつも居心地の悪い思いをしましたし、自分の家族に他の家族と違う習慣があるのはなぜかを理解するのに苦労したこともあります。両親は私を家から少し離れたプリンストン日本語学校という日曜補習校に通わせましたが、思春期には毎週嫌々と通ったものです。
それでもなんとか思春期を終え、アメリカン大学に入学し、そこで本格的に自分のルーツとアイデンティティに向き合いました。刺激的な講義と自分自身の成長により、過去を振り返って自分の経験に価値を認め、さらなる意義を探れるようになりました。大学時代には興味の幅が広がり、批判的社会理論、日本史、昆虫学、植物学、音楽に特に惹きつけられました。大学図書館で働いた他、大学のオンラインラジオ局・WVAUの共同局長を務め、卒業後の人生にとって重要な職務経験と対人経験を得ました。これらの仕事を通して、自分が何者か、また社会の中での自分の立ち位置について理解を深めることができました。
JICUFのスタッフに加わり、新たな職場環境でこれまでに培ったスキルを活かせることを嬉しく思います。教育は自己実現のための素晴らしいツールであり、ICUだけでなく、世界中の学生が教育を通して目標を達成するお手伝いができればと思います。どうぞよろしくお願いします。」