オスマー夫婦

1990年代後半、JICUFはドナルド・F オスマー博士(1904~1995)とミルドレッド・トップ・オスマー夫人(1907~1998)より多額の遺贈を受けました。ご夫妻が指定された使途は、オスマー記念科学教授職の設立と、キャンパス内の新施設の建設でした。さらに、運用によって拡大した資金を用い、JICUFはICUに新たな形の支援を提供するようになりました。オスマーご夫妻の寛大なご寄付は、JICUFとICUに長く残る恩恵をもたらしました。

ドナルド・オスマー博士とミルドレッド・トップ・オスマー夫人

ドナルド・オスマー博士
ドナルド・オスマー博士はネブラスカ州オマハに生まれ育ち、ネブラスカ大学で学士号(1924年)、続いて修士号(1925年)を取得しました。1927年にミシガン大学で博士号を取得後、ニューヨーク州ロチェスターを拠点とするイーストマン・コダック社に職を得ました。在職中のオスマー博士の研究は、40件を超えるコダック社の特許につながりました。1932年よりブルックリン・ポリテクニック大学(現ニューヨーク大学技術工科大学)で教鞭をとり、1937年から1961年まで化学工学部の学部長として活躍し、1976年には名誉教授職を授与されました。

教授として学生の指導に専念したオスマー博士は、多くの第一世代移民学生のメンターとなりました。また、日本国際基督教大学財団(JICUF)の理事を務め、ロングアイランド大学病院およびブルックリン歴史協会の理事にも名を連ねていました。この2団体も、数百億ドルに上る博士夫妻の遺贈金の一部を受け取っています。さらに、博士が大学に進む際に奨学金を提供したオマハ教育委員会に対しても、オスマー博士は数百万ドルを遺しています。

ミルドレッド・トップ・オスマー夫人
ミルドレッド・トップ・オスマー夫人は、オスマー博士と同じくネブラスカ大学を卒業し、英語と経済を教えていました。家族のアパレル事業を手伝うためニューヨークに移り、1945年にはコロンビア大学教育学部で修士号を取得しました。1950年、ニューヨークでオスマー博士と結婚し、ブルックリン植物園のボランティアとして活躍する他、プランド・ペアレントフッドの理事に名を連ねていました。

化学技術者としてのドナルド・オスマー博士
全米でも屈指の化学技術者となったオスマー博士は、また発明家として150件以上の特許を所有し、350もの学術論文を発表しました。博士が共同創設者かつ編集者となったカーク・オスマー化学大辞典(Kirk-Othmer Encyclopedia of Chemical Technology)は、化学工学分野で最も参照される出版物となっています。

オスマー博士がルース・ミラー(当時のJICUFエグゼクティブ・ディレクター)に宛てた手書きのメモ、および 1974年8月28日付の「Charter Patron of ICU’s Fund for the Future」に加入する意図を記したカード。博士は遺言でJICUFへの遺贈を指定しました。

オスマー夫妻とJICUF
始まりは、オスマー夫人の母親が、旧知のウォーレン・バフェット氏にオスマー博士の特許料の運営について相談したことでした。世界有数の投資家であるバフェット氏との関係が、極めて重要な鍵となりました。オスマー夫妻の資産は増え続け、7億ドル以上に達し、最終遺贈額の5%がJICIUに寄付されました。気取りのない夫妻の寛大なる寄付に、当財団は深く感動しました。オスマー博士はブルックリンで世界中から集まった学生を指導・支援しましたが、JICUFはその遺志を引き継ぐ形で、1997年に留学生を対象とした学生寮、グローバルハウス建設の資金援助を行いました。

建学50周年を記念して、JICUFは2000年にミルドレッド・トップ・オスマー図書館建設資金を供与しました。従来の図書館棟に隣接したオスマー図書館では、充実したネットワークで電子情報の利用に便宜を図り、授業やセミナーなどに使えるグループラーニングエリア、マルチメディアルーム等を提供しています。

JICUFに対するオスマー夫妻の寄付金は、その遺言によって用途の大半が大学構内の新建築に限られていますが、それに加えて夫妻の資産が科学分野での教授職(ドナルド F. / ミルドレッド・トップ・オスマー記念科学教授)を設立するようにとの記載があります。これに従い、ICUで初めて寄付基金教授職を設立し、2013年4月には、植物分子学および遺伝学の権威である 河内宏教授 がオスマー記念科学教授に就任しました。

ドナルド F. / ミルドレッド・トップ・オスマー記念科学教授

1990年代後半にJICUFに対して多額の遺贈を行ったドナルド・F・オスマー博士とミルドレッド・トップ・オスマー夫人は、使途として、キャンパス内の新施設の建設と、科学分野での教授職の設立を指定しました。この寄付基金教授職は、1999年に「ドナルド F. / ミルドレッド・トップ・オスマー記念科学教授」として設立され、以来科学分野で傑出した研究者/科学者に授与されてきました。

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北野宏明教授

北野宏明教授は、株式会社ソニーコン ピューターサイエンス研究所(Sony CSL) 代表取締役社長、所長で、2021年4月よりオスマー記念科学教授を兼任。1984年にICU教養学部理学科(当時)を卒業(物理学専攻)後、1991年に京都大学大学院で博士号(工学)を取得。ソニー株式会社の初代エンタテインメントロボット AIBO の開発に携わり、自律移動型ロボット による国際的な競技大会である「ロボカップ」を立ち上げるなど、日本における AI の牽引者です。

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河内宏教授

2013年4月には、植物分子学・遺伝学の権威である 河内宏教授 がオスマー記念科学教授に就任しました。河内教授のインタビューはこちらでお読みください。

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北原和夫名誉教授

第2代オスマー記念科学教授に選ばれたのは、北原和夫先生(ICU名誉教授)でした。理論物理学者である北原氏は、統計物理、物性基礎研究の権威として世界に知られています。東京大学を卒業後、ブリュッセル自由大学で理学博士号を取得し、マサチューセッツ工科大学で研究に取り組みました。帰国後、1998年にICUに着任するまでは、静岡大学および東京工業大学で教鞭を執り、2008年から2011年までオスマー記念科学教授を務めました。

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村上陽一郎名誉教授

ICU初のオスマー記念科学教授に就任したのは、村上陽一郎先生(ICU名誉教授)でした。1999年から2008年まで同職にあった村上先生は、科学の歴史、哲学、社会学の分野における第一人者として活躍しています。東京大学で学士、修士、博士号を取得後、1968年に上智大学で教鞭を執り、1995年にICUに着任するまでは、東京大学教授、国立ウィーン工科大学客員教授を務めていました。ICU退任後、2008年から2014年まで東洋英和女学院大学学長を務めました。

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